どのジャンルにも当てはまるかもしれませんが、「にわかは語るべからず」という風潮があります。
たとえば、アーティストでも、
「え、その曲しか知らないのに、ファン名乗ってるの?」
「おれは何年も前から好きなんだから、君たちとは違うんだ」
「それしか知らないなら、○○のこと語るなよ」
といった感じです。
なぜ、知ったばかりだと語ってはいけないのでしょう?
そもそも、昔からのファンは、にわかファンの言動を封じるような権限があるのでしょうか。
人狼というゲーム
テレビで何度か番組でも放映された「人狼」というゲームがあります。
このゲームは、村人の中にまじった人狼を話し合いによって探しだし、排除していくゲームです。
もちろん人狼は村人のふりをしているので、ウソをつく必要があります。
そのため、上手にウソをつく能力、ウソを見破る能力、言動から矛盾を突く能力など、さまざまなコミュニケーション能力が必要になります。
最近になって、このゲームを知った人も多いでしょうが、ゲーム自体はもっと昔からあります。
そういうこともあり、昔からのファンや愛好者も多いです。
そして、同時に人狼が嫌いな人も少なからずいます。
人狼に対する好悪
わたし自身もこれほどブームになる前から、人狼は知っていましたし、実際に何度か遊んだこともあります。
ただし、あくまでも身内であり、知らない人が集まるオープン会などでは、したことがありません。
正直なところ、周り全員が知らないような環境であまり遊びたいなとは思いません。
そもそもゲームのシステム上、ほとんどヒントがない状態で、誰かひとりを脱落させなければならないシーンがあります。
これがなかなかのくせ者で、人によっては、何も知らないままゲームから脱落させられ、それ以降嫌いになってしまうということもあります。
また、構図的に、一対多数となるシーンも多く、一人をよってたかって詰問する様子は、いじめのように見えなくもありません。
さらにある程度の定石というか、ロジックを知らない人がいる場合、ゲーム自体が破綻してしまうことがあります。
根っからのファンならば、ゲームを壊されることは我慢がならないでしょう。
せっかく楽しもうとしているのに、なんてことをしてくれるんだ、と。
怒りを感じれば、鋭く糾弾することもあるでしょうし、露骨に嫌な顔をしたり、小馬鹿にしたりすることもあるはずです。
そんな対応をされたら、二度とやりたいとは思わないでしょう。
何のためにするのか
わたし自身の人狼やボードゲームに対するスタンスは「楽しむ」ことです。
恐らく人によっては「勝つことがすべて」という人もいるでしょう。
負けてしまっては何の意味もないと考える人もいるはずです。
考え方は人それぞれですので、もちろんどちらがいいということはありません。
しかし、
全員が自分と同じ考え方であるべし
という考え方は、ちょっと違うような気がします。
勝つことに執着がないなら、ゲームなんてするなよ!
とはならないでしょう。
そもそも誰しもが最初は初心者ですし、何も分かりません。
いろいろ試行錯誤しながら、学んでいったり、覚えていったりしていくものです。
もちろんそのプロセスでミスをしたり、間違うこともあるでしょう。
そのミスを鬼の首を取ったようにあげつらうのは、決して見ていていいものではありません。
これがまだプロ競技ならば、「勝たなきゃ意味がない」という考えも分かるのですが、今のところプロの人狼プレイヤーというのはいません。
今後現れる可能性もまずないでしょう。
別に勝ちを目指すのは当然のことですし、それにこだわることも悪くはありません。
しかし、その代わりに周り全員が嫌な気分になるのは、決して良いことではないように思えますね。